ラグビー熱が高まっている日本! ラグビー選手の経歴にも関心が高まっていますね!
今回は、日本のラグビー選手として活躍する松島幸太朗選手についてご紹介します。松島幸太朗選手の国籍や両親について徹底的に調べました!
もくじ
松島幸太朗選手の国籍ってどこなの?
松島幸太朗選手って何人なの? と疑問を持った方は少なくないはず! 松島幸太朗選手は、アフリカ・ジンバブエ人の父親と日本人の母親を持つハーフです。
松島幸太朗選手は、南アフリカ共和国のプレトリアというところで生まれ育ちました。生まれは南アフリカなんですが……。2歳の時に日本へ移り住み、5歳の時に日本の国籍を取得したらしいので、松島幸太朗選手の国籍は日本です。
中学生の頃に一度南アフリカへ戻ったものの、また日本に戻り日本のラグビーを始めました。高校は、横浜にあるラグビーの名門校“桐蔭学園高校”へ入学。高校日本代表にも選ばれました!
松島幸太朗選手の父親の職業は?どんな人なの?
松島幸太朗さんの父・ロドリックさんは、経済記事を書くジャーナリストでした。南アフリカを拠点として執筆活動をする、とても仕事熱心な人だったようですよ。
松島幸太朗選手が2歳の頃、ロドリックさんの仕事の関係で家族3人で日本に移り住みましたが、後に仕事の関係でロドリックさんのみ南アフリカに戻り、単身赴任の生活をしていました。
松島幸太朗選手が中学2年生の頃、何か目標を見つけてもらうために、ロドリックさんの意思で南アフリカに留学させました。留学期間は寮生活だったものの、松島幸太朗選手は頻繁にロドリックさんの所に顔を出していたようです。
ロドリックさんの教育方針は厳しかったようで、「スポーツだけじゃダメだ、勉強も同じくらい頑張れ。」と松島幸太朗選手はよく言われていたそうです。というのも、ロドリックさんは故郷で内戦と貧困、差別を経験した過去がありました。そのため、ロドリックさんは教育の大切さを痛感していました。
ロドリックさんは南アフリカの“人種隔離政策”問題に積極的に取り組み、『差別撤退隔離会議』のシンポジウムに登壇し熱弁したこともあります。松島幸太朗選手はそんなロドリックさんを誇りに思っていたのではないでしょうか?
しかし、松島幸太朗選手がラグビーの名門校・桐蔭学園高校に入学し才能が発揮され始めた頃、ロドリックさんが急死。死因は不明で、現地では“ジャーナリストの謎の死”として大きく取り上げられました。
権力にも怖じけることなく立ち向かう真のジャーナリストだったと言われているロドリックさんなので、汚職を追求して恨まれていたのではないかと思われます。ロドリックさんの死は松島幸太朗選手を失意のどん底に落とすほどでしたが、そんな松島幸太朗選手を救ったのがラグビーでした。
今も父・ロドリックさんの教えを胸に、松島幸太朗さんはラグビーに励んでいます。
松島幸太朗選手の母親の職業は?どんな人なの?
松島幸太朗選手の母・多恵子さんの職業は、社会福祉士です。
松島幸太朗選手は小さい頃はサッカーをしていたのですが、その際に肌の色が原因でチームメイトによくからかわれていたそうです。それを聞いた多恵子さんは、教師やチームの指導者に今すぐに辞めるよう抗議したというエピソードがあります。
多恵子さんの教えは、「ノーならノー。意見を伝えることが大事。」というものでした。小さい頃は内気でシャイだった松島幸太朗選手。多恵子さんの教えのおかげで、必要ならば自分の意見を強く主張するような、たくましい子に育ちました。
松島幸太朗選手はどうして日本でプレーすることを選んだの?
高校卒業後は南アフリカに戻り、U-18代表メンバーに入り、南アフリカ代表への道が開けていた松島幸太朗選手ですが、なぜ日本でプレーするとこを選んだのでしょうか?
理由は、「長くいた日本の代表となって強い国を倒したい」からでした。小さい頃から慣れ親しんだ日本に、愛着を持っていたのでしょうね。日本人として、こういった言葉を聞くと嬉しくなりますね!
松島幸太朗選手は結婚している?
ハーフということで整った顔立ちであり、高身長な松島幸太朗選手。きっと女性からモテモテに違いありませんが、結婚はしているのでしょうか?
実は、松島幸太朗選手は結婚していないんです。松島幸太朗選手は、以前「恋人はラグビー!」なんてコメントもしていました。相当ラグビーを愛しているようで、だから結婚しないのかなと思いましたが……。
恋人がいるという噂はあります! お相手は、女子ラグビー“サクラセブンス”の鈴木実沙紀選手です。
鈴木実沙紀選手は1992年生まれ、神奈川県出身のラグビー選手です。松島幸太朗選手との共通点は、神奈川県出身ということ。そして、ラグビー選手という点です。なおかつ同い年ということで、気が合いそうですもんね。
しかし、噂の根源は2チャンネルの投稿のため、信憑性は薄いです。何れにしても、これから松島幸太朗選手がもっとラグビーに集中できるような環境を提供できるような素敵な方と結婚してもらいたいですね!
松島幸太朗選手の経歴は?
中学生の頃からラグビーを始めた松島幸太朗選手は、桐蔭学園高校時代、第89回全国高等学校アグビーフットボール大会で準優勝に輝きました。
翌々年には、東福岡高等学校との決勝戦で同点という結果となり両校優勝。どちらの大会にも目覚ましい貢献ぶりで活躍を果たした松島幸太朗選手は、高校日本代表に選ばれました。
高校卒業後は、南アフリカの育成チームに2年間在籍。南アフリカのU-18の代表メンバーに入り、U-20の代表候補ともなりましたが、日本でプレーすることを選び辞退しました。
2014年、サントリーサンゴリアスに加入。同じ年のジャパンラグビートップリーグ1stステージ第1節で、日本代表として初出場を果たしました。
2015年、ワラターズに加入。同じ年に開催されたラグビーW杯2015の日本代表に選ばれ、五郎丸歩選手のアシスト役として勝利に貢献しました。
2016年、レベルズに加入。2019年のラグビーW杯2019の代表に選ばれると、開幕戦でハットトリックを達成しました。W杯で日本代表が達成するのは史上初のことです!
松島幸太朗選手のプロフィール
松島幸太朗さんのプロフィールを簡単にご紹介します!
生年月日 | 1993年2月26日 |
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出身地 | 南アフリカ共和国プレトリア |
身 長 | 178cm |
体 重 | 88kg |
血液型 | A型 |
愛 称 | マツ、まっちゃん |
出身高校 | 桐蔭学園高校 |
職 業 | ラグビー選手 |
ボジション | センター(CTB)、ウィング(WTB)、フルバック(FB) |
代表国 | 日本 |
チーム | サントリー |
趣 味 | ゴルフ、映画鑑賞 |
好きな食べ物 | カレー |
嫌いな食べ物 | きのこ |
チームメイトから見た松島幸太朗選手の印象は、“マイペース”な人だそうです。母親の教えのもと、自分の意見を大事にする性格なので、周りに合わせることなく自分のペースで物事を進めていくそうですよ。
まとめ
南アフリカ・プレトリアで生まれ、ラグビー日本代表として活躍をし続けている松島幸太朗選手。ポジションはバックスで走力に定評があり、芯の強い自分の意見をしっかりと持った人物です。
ジャーナリストとして働いていた父親や社会福祉士の母親はとても偉大な人であり、お二人の教えのおかげで今の松島幸太朗選手がいるんですね。父親の死は、松島幸太朗選手にとって人生を変えるターニングポイントとなったのでしょう。辛かったとは思いますが、その経験のおかげでここまで強くなれたのでしょう。
また、松島幸太朗選手は結婚していないようです。彼女の噂は出ていますが、信憑性は低く感じます。スポーツ選手にとって、体調管理をしてくれるサポート役が必要不可欠かと思いますので、松島幸太朗選手も早く素敵な方と結婚できるといいですね。
これからも、松島幸太朗選手とラグビーの活躍を期待しましょう!