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樹木希林は宗教家だった?離婚しないのは宗教の影響なのか!

大女優として活躍されていた樹木希林さん。宗教家だった噂と離婚と宗教が関係していることについて気になっている人が多いようです。

今回は、樹木希林さんの宗教家だった噂と離婚と宗教が関係していることについてまとめました。

もくじ

樹木希林は宗教家?

樹木希林さんには、宗教に入信したや宗教家になったなど宗教にまつわる色々な噂が浮上していますね。樹木希林さんが内田裕也さんと離婚しないのも、宗教が関係していると言われていますが、それは後ほどお伝えします。

樹木希林さんの知人のお話では「希林さんは、ある意味宗教者になったんです。もともと密教の研究をしていたそうです。出家とかはしないようですが、“宗教者として生きていく”と話してくれたことがあります」ということです。

「裕也さんは、希林さんにとって“墜ちた人”つまり、救わなければいけない存在なんです。彼の人生を全うさせてあげたいと考えている。だから、希林さんはどんなことがあっても、裕也さんと離婚することはない。浮気されたら別れる人が多いけれど、一緒に住まなくても浮気されても夫婦なんだという考えなんでしょう」とも仰ってました。

樹木希林が信仰していた希心会とは?入信40年以上?

樹木希林さんが信仰していた宗教は希心会と言われています。では、希心会って一体どんな宗教なのでしょうか?とある記者が説明されていましたので紹介致します。

法華経を基とする霊友会に信仰していた飯島将吉が独立して、1953年に創立した新興宗教です。本部は神奈川県厚木市で、会費は月50円だったはず。お金がかからないことで有名な、こぢんまりとした宗教です。特に悪い噂は聞かないですね。希林さんはこの希心会の古参信者です。日蓮系ですから、身延山に参詣したりする行事があるのですが、希林さんも熱心に参加していたと聞きます。それに出くわした人の話によると、『この宗教はお金がかからないからいいのよ』と言われたそうです。彼女の隣には夫の内田さんもいて、一緒に登っていたとか

引用元:デイリー新潮

希心会の会費は1戸月100円に値上げされています。50円では運営が厳しくなり値上げされたようですが、それでも運営できるかが謎ですね。

会費以外で寄付などは一切禁止されているようなので、年間で1戸1200円しか払ってもらってないようです。それでも運営できる理由は、運営側も給料は頂いてないようです。

運営されている方達は本業があって、その合間で運営されているようです。

ちなみに、樹木希林さんが宗教に信仰されてから長い間希心会を信仰されているようですが、運営の方は詳しく話せないとのことでしたがかなり古くから信仰されていました。






樹木希林が内田裕也と離婚しなかったのは宗教家だから?

樹木希林さんの旦那の内田裕也さんが逮捕されたことがありましたが、樹木希林さんはその時に記者会見を開かれていました。

樹木希林さんが記者会見のときに内田裕也さんとは「離婚しないつもりです」と仰ってました。さらに、内田裕也さんの逮捕については「ありがたいです」と発言されていました。

この言動が樹木希林さんが内田裕也さんと離婚しないのは、宗教家だからではないかと言われていました。

先ほどにもありましたが、樹木希林さんの知人の話では

「裕也さんは、希林さんにとって“墜ちた人”つまり、救わなければいけない存在なんです。彼の人生を全うさせてあげたいと考えている。だから、希林さんはどんなことがあっても、裕也さんと離婚することはない。浮気されたら別れる人が多いけれど、一緒に住まなくても浮気されても夫婦なんだという考えなんでしょう」

樹木希林さんがこのような考えになったのも宗教の影響があったのかもしれません。





樹木希林と内田裕也の離婚騒動って何があった?

樹木希林さんと内田裕也さんの離婚騒動について紹介します。

樹木希林さんと内田裕也さんは別居されてました。理由は、旦那の内田裕也さんのDVです。別居のこともあり、内田裕也さんは樹木希林さんに無断で離婚届を出されました。

ですが、樹木希林さんは離婚を認めず離婚無効の訴訟を起こし勝訴されてます。何故樹木希林さんはそこまで離婚を拒否したのでしょうか?

樹木希林さんが離婚についてコメントされていました。

「まあ、縁ですから。自分に合った人と出会うわけですから。それに、親がへたばって喜ぶ子供はいないでしょ。よく娘は『お母さんは他人だからいい、私は血が繋がってる』って。今回も『お母さんがいてくれてよかった』と言いました」

娘のためにも、樹木希林さんは内田裕也さんと離婚するつもりはなかったのでしょうね。

樹木希林は若い頃に芸名を売った?その理由は?

実は樹木希林さんは、若い頃違う芸名で活動されていました。若い頃の芸名は「悠木千帆」です。では、何故樹木希林さんは若い頃に芸名を変えたのでしょうか?

その理由は、1977年4月1日に「日本教育テレビ」から「全国朝日放送」への局名・会社名の変更を記念して放送された特別番組「テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継」に出演したときでした。

番組内にオークションコーナーがあったのですが、樹木希林さんは「売るものがない」という理由で、若い頃の芸名の「悠木千帆」を競売にかけました。

「悠木千帆」という芸名は、2万200円で世田谷の飲食店店主に売却されており、芸名を「樹木希林」に改名したんです。また、売却された芸名は、2004年に飲食店店主から無償で、女優の山田和葉さんに譲渡されました。

樹木希林さんの若い頃の芸名は、譲渡して欲しいと依頼がありましたが店主は長らく拒み続けており、2004年になって山田和葉さんになら良いと思ったことから芸名を無償で譲渡しました。

樹木希林さんが若い頃に芸名を変えてた理由が、まさか番組の企画だったなんて思いもしませんでしたね。

樹木希林は若い頃は歌手活動もしてた?

樹木希林さんはCMなどでもよく見ますが、若い頃の活動の幅が広かったそうです。若い頃は歌手活動もされていて、郷ひろみさんと歌手活動されていました。

曲名はおばけロックです。翌年の1978年には第二弾として「林檎殺人事件」という曲も郷ひろみさんとともに発表していました。

樹木希林のプロフィール

芸名:樹木希林
旧芸名:悠木千帆(ゆうき ちほ)
本名:内田啓子
生年月日:1943年1月15日
出生地:東京都千代田区
身長:159cm
血液型:A型

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